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Music Allyでは、英国議会で行われた音楽ストリーミング経済に関する調査を詳細に分析してきました。先日、英下院で行われた討論と証拠審議は、メジャーレーベルの経営陣、インディーレーベルの責任者、アーティスト、そして関連団体が参加し、「音楽ストリーミングから権利保有者にどのように報酬が支払われるか」という収益分配モデルをテーマに政治家と幅広いトピックを議論しました。

アーティストに支払われる報酬を増やすことが目的であれば、単純な解決方法が1つ存在します。それは、サブスクリプションの月額料金の引き上げです。しかし、この手段は、音楽業界では避けられているかのようです。欧米の先進国では、音楽サブスクリプションの月額料金は、長い間9.99ドル前後で推移しており、動く気配がありません。そう思っているのは、実は間違っているのでしょうか? この価格帯が音楽ストリーミング経済における難関となっているのは、なぜなのでしょうか。

 

Music Allyでは以前から、この問題を検証してきました。そこで、本稿では、Spotifyの元チーフ・エコノミストや、英国の著作権徴収団体PRS for Musicのエコノミストを長年務め、音楽経済を取り扱った著書『Tarzan Economics』やリサーチペーパー『Twitch’s Rockonomics』を世に出した音楽専門の経済学者のウィル・ペイジ(Will Page)に、この問題の論点を掘り下げてもらいました。

彼の寄稿記事では、「9.99ドル」問題を興味深い比較で取り上げています。その比較とは、2009年以降、英国のレストランで価格が倍増している人気ワイン、マルベックとの比較です。

ウィル・ペイジは、5月24日(火)からオンライン開催するMusic Ally Japan主催のカンファレンス「デジタルサミット2022」で登壇し、9.99の音楽サービスの価格問題を語ります。

9.99 = 長らく続く音楽サービスの価格

ちょうど20年前となる2001年12月、オンデマンド音楽がせきを切ったように、世に溢れ出てきました。RhapsodyやReal Networksのような音楽サービスがローンチし、America OnlineとEMI、Bertelsmannの設立したMusicNetや、ソニー・ミュージックとVivendiのユニバーサルミュージックのジョイントベンチャーのPressplayといった新規参入者が、この争いに加わりました。音楽ファンがお金を払うかどうかが疑問視される中、ユーザーにさまざまな楽曲のダウンロードやストリーミング機能を提供するこれらのプラットフォームの月額料金は、どこも9.99ドルでした

9.99というこの数字は、20年経った2021年の現代でもドル、ユーロ、UKポンド圏の音楽サービスの月額料金の基本であり続けています。相対的な価値ではドルが一番安くなるため、アメリカでは音楽が安く手に入る、と指摘する経済学者もいますが、アメリカではVAT(付加価値税)がライセンス料に盛り込まれていないことを理解していない人が今でも多くいます。

9.99という価格の起源には、諸説があります。0.99で終わる価格設定が、その次の整数で設定された価格よりも、(1セント以上)安く感じられる「魅力的な価格設定」テクニックだ、とほのめかす人がいます。この数字は、かつて人気だった米国のビデオレンタル・チェーン大手のBlockbusterが利用者に発行するメンバーシップカードの価格を反映しただけ、と言う人もいます。真の起源が何であれ、9.99という20年前の価格設定は、音楽がどれだけの価値があり、どれだけのコストがかかるべきかという現代の議論において、語られていません。

 

イギリス音楽市場の価格設定は正しくない

アメリカと英国・欧州間の音楽サービスの価格比較をすることには、意義があります。なぜなら、音楽ストリーミングが支払う利益分配は英国では議会を巻き込んだ政治的な問題になっているからです。

2020年末に始まった英国議会の調査は、音楽を生み出すアーティストやクリエイターたちに公正な報酬を与えるための試みとして、同国の市場競争と知的所有権に関する規制当局が、音楽ストリーミングの経済構造をひっくり返す可能性を示す状況にまで迫ってきました。英国の議論は、音楽ストリーミングが生み出す経済についての賛否両論を1年以上巻き起こしました。しかしながら、ここでの懸念は、価格設定という重要な要素について、建設的な議論が欠けていることです。

(他国に比べて)英国は、音楽ストリーミングの導入に遅れをとりましたが、短期間で大規模展開を実現しました。そして上述の米国の音楽サービスが、今はなきネットスケープ・ブラウザにおいてローンチしてからほぼ10年が経った2009年2月に、Spotifyが英国で9.99ポンドのサブスクリプションをローンチしました。

Spotifyのヨーロッパでの展開は、9.99ユーロで行われ、アメリカでは2011年7月にローンチされました。アメリカでの価格はもちろん、9.99ドルです。

安定的な9.99という価格は、消費者にとって利益も生みます。仮に国や人の状況がどこも同じであれば、収入が増加すれば、より多くのリスナーは喜んで固定料金を支払うでしょう。しかし、それは同時に、アーティストや作詞家にとっては、インフレコストの影響を受けることを意味します。

英国国家統計局(ONS)は、音楽ストリーミングのコストを理解するのに役立つ3つの指標を提供しています。CPI指数、CPIサービス指数、家計消費指数です。CPI指数(消費者物価指数)は住宅ローンなどの住宅コストを除いたすべてを把握します。CPIサービス指数はそこからすべての財を除外したもので、買い物やガソリン代も対象外となります。最後に、私たちが好む家計消費(Household Consumption)指数は、貯蓄と資本支出を除外した上で、銀行手数料もギャンブルの収入さえ捕捉するものとなっています。

(タイトル:Spotifyの9.99ポンドという価格の実質値を見る

グラフ別、CPIー全アイテム、CPIーサービスのみ、家計消費指数にかけたもの)

イギリスの経済オタクたちがインフレの計算に使っているこの3つの指標のいずれかを使ってみると、Spotifyがイギリスでのローンチ以来、継続している9.99ポンドの価格設定には、明らかなデフレの影響が含まれていることが見えてきます。ローンチ当時と比べると、現在の9.99ポンドが持つ価値は、家計消費指数ではほぼ13%下落、CPI指数ではマイナス22%、よりアグレッシブなCPIサービス指数を使うと29%下落してわずか£7.10に値することが分かります。

これが良いか悪いかは、見方によります。価格の実質的下落は、アーティストやソングライターの収入を侵食しているという見方がありますが、一方では、イギリス音楽市場の大きな成長に拍車をかけたとの見方もあります。音楽サブスクリプションに対するイギリスの消費者支出総額は2013年から2021年で12倍以上増加、12億ポンド(約1900億円相当)に達しています。同じような成長は、世界各地で見られます。同様の成功を見せている業界はほとんどありませんが、この例外的な音楽市場の成長は、価格設定で説明できるかもしれません。

ファミリープランで下がる音楽の価格変動

Spotifyが2014年にイギリスでローンチした(当初はほとんど利用されなかった)ファミリープランを考慮すると、価格設定の議論はさらに深まります。2015年後半、Apple MusicがiPhone向けにローンチした当時、ファミリープランを大々的に宣伝した結果、6アカウントで14.99ポンドという値段設定が主流になりました。一つのファミリープランに2.3人が加入する場合、1アカウントあたりで支払う金額は6.50ポンドとなリます。2014年に開始した学生プランでは、さらに1アカウントあたり4.99ポンドに下がります。付け加えると、これらはインフレ調整前の価格です。

ここから計算が複雑になります。Apple Music、Amazon Music Unlimited、Spotifyの3つの主要サービスの価格変動にインフレを考慮して計算すると、長年一定だった9.99という価格は、インフレ調整後はわずか6.30になります。

(グラフ・タイトル:上述の要素を考慮した上での、アカウント毎の月額料金の変動

グラフ:音楽サブスクリプション一つあたりの英国の料金、インフレ調整後音楽サブスクリプション一つあたりの英国の料金)

この価格変動は一考の価値があります。

話がどんどんとややこしくなってきましたね。今日の9.99ドルは今日において、9.99ドルの価値がある。その点は間違いありません。その上で、上のグラフの赤い線が教えてくれるのは、3つの主要サービスと3つの料金プランすべてにおける平均的なサブスクリプション登録者にとって、総合的な意味での価格は9.99ポンドから6.30ポンドへと、3分の1以上(35%)減少したということです。

ワインが教えてくれる音楽ストリーミングの価格設定の謎

ここで少し脇道にそれましょう。

経済学者は、データからインフレを除外して、まるで新しいおもちゃを手にした子どものように、あれこれと議論するのが大好きです。

「低い利益分配率に苦しむアーティスト」といったクリック獲得目当ての見出しの記事は大抵、的外れな指摘しかしていません。また、「1ストリーム再生当たりの利益分配」という常に熱い議論の的となりがちな測定基準と、音楽市場の成長率との関連性は、あまり関係ありません。結局のところ、ストリーミングサービスにより多くの料金を支払っても、再生する楽曲量が増えれば、「1ストリーム再生当たりの利益分配」が下がるからです。

価格設定を建設的に考えるため、新しい比較対象をここで「注いで」みましょう。登場するのは、フランス原産のワイン「マルベック」(悪いくちばし、の意)の経済性「マルベコノミックス」です。

マルベックは現在、世界で最も人気のあるワインのトップ10にランクインしています。フランス産ではあるものの、アルゼンチン人たちがマルベック(とそれよりは知られていないワイン種であるトロンテ)のブドウはアルゼンチンの気候での栽培と相性が良いことに気付き生産に力を入れてきたワインです。

トロンテはそれほど人気にはなりませんでしたが、マルベックの重厚なダークカラーと素朴で無骨な味は、様々な食事の中心的な存在となりました。ワイン通の人々からは、ブラックカラント・カシスとタンニンのおかげで、他のワインと違って、柔らかい絹のような風味が口の中に残ることはない、といった評価を受けてきました。

人気と比例して、マルベックの価格が高まりましたが、消費者たちは価格高騰を気にすることなく、ワイン購入をためらいません。ここにマルベックの成功が現れています。ワイン業界の専門家でThe Winemanの創設者であるKevin O’Rourke氏は、小さなグラスからボトルでの注文含めて、レストランで「エントリーレベル」に相当する「Michel Torino Coleccion Estate」のマルベックに支払う価格が、2009年以来倍増していると指摘しました。

(グラフ・タイトル:イギリスのレストランにおけるマルベック価格の比較:2009年と2021年

グラフ:(左から)ボトル、大グラス(250ml)、中グラス(175ml)、小グラス(150ml)

このサクセスストーリーには祝杯を上げるべきです。

そして、なぜ音楽ストリーミングは、提供する曲数が増えても、金額が一定なのに、ワインは価格が高くなるのか、を考えるヒントになります。

下のグラフが示すように、マルベックの中グラス(175 ml)は現在、名目的にも実質的にも、7500万曲にアクセスできる音楽ストリーミングサービスの価格よりも高くなっています。仮に、消費者一人が2009年初めから2021年まで、マルベックを飲むことと、音楽をストリーミング再生すること、の二つしかしてこなかったとしたら(完全にありえない話ではないような…)、今日では後者の方が前者より安いと「感じる」でしょう。

(グラフ・タイトル:インフレ調整後、マルベック中グラスと、音楽に支払う金額

グラフ:(左から)マルベック中グラスの値段(175ml):インフレ調整後、マルベック中グラスの値段(175ml)、1アカウントあたりの音楽サブスクリプション価格:インフレ調整後、1アカウントあたりの音楽サブスクリプション価格

統計学者や経済学者は、まさにこのテーマの問題に多くの時間を費やしています。ワインと音楽、ではなく、価格の安定期にどうサービス改善を考慮するか、という問題です。統計学の世界では、ヘドニック価格法と呼ばれる手法を使用しています。例えば、コンピュータの価格を調整する時、価格は変わらないけれども、チップとRAMが改善されているので、それはデフレーター(実質値を得るための指数)の要素として考慮する必要がある訳です。私の著書『Tarzan Economics』では、「ベゾスの法則」について議論しています。この法則は、Amazon創業者のジェフ・ベゾスにちなんで名付けられた法則で、「クラウドコンピューティングの価格は、約3年ごとに50%引き下げられる」という計算方式です。これを実現するためには、よりアグレッシブなデフレーターが必要となります。

「9.99」の価格設定から20周年を迎えた今日、価格は変わらないにも関わらず、音楽ストリーミングサービスは大幅に改善されています。アクセスできる楽曲数は、2001年当時にはRhapsodyの1万5000曲から、今日では7500万曲以上に増え、1日7万5000曲のペースで成長しています。スマートフォンの音楽アプリから、巨大な音楽ライブラリにいつでもアクセスできるだけでなく、アプリ自体も絶えず改善されています。

以前は単一アカウントしか無かった選択肢は、他のユーザーと共有できる様々なアカウント・シェアのオプションが揃った柔軟なプランに取って代わられました。

また、Spotifyの「Discover Weekly」のようなアルゴリズムによるプレイリストが2015年に人気を得て以来、ストリーミングサービスはユーザーにとっての最適な音楽を選ぶ影響力をも得ました。しかし、家族プラン、学生割引、インフレといった全てを調整すると、音楽の価格は変わらないどころか、より安くなっているのです。

一方で、175 mlのマルベック・ワインは、昔も今も同じブドウから作られ、同じアルコール度数で、同じ量で売られているにも関わらず、価格は倍増しました! ワイン業界は、同じワインをより高い価格で販売しているのに対し、音楽業界は、はるかに多くのアーティストの作品数を、はるかに少ない金額で提供している訳です。

「9.99」の状況は、いつまで続くのでしょうか? レーベルの利益と、アーティストへの利益分配をめぐる論争は、音楽の対価をレンタルビデオのレンタル料に合わせる、という20年前の歴史的な決定から、未だに影響を受けているのです。今後、音楽業界に必要なのは、アーティスト、レーベルのエグゼクティブたち、政治家、そして政策立案者たちが、なぜ英国、米国、ユーロ圏で、9.99の価格設定が続いているのか、そして、この状況を変えるために何をすべきかを徹底的に議論することです。理想的にはマルベックを一杯か二杯飲んだ後に。乾杯!


ウィル・ペイジ (経済学者、元Spotifyチーフ・エコノミスト)

ウィル・ペイジは、Spotifyにて同社初のチーフ・エコノミストを務めた経済学者です。それ以前はPRS for Musicのチーフ・エコノミストを務め、音楽市場の経済論「Rockonomics」の先駆者として知られています。Spotifyでは、カタログ楽曲やグローバル市場における著作権の価値の再定義、ヒット曲創出の方式の解明を提示してきました。これまでに著書「Tarzan Economics」や、リサーチペーパー「Twitch’s Rockonomics」を出版し、現在はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、王立芸術協会フェロー、音楽企業のアドバイザーを務めています。

Source: “Malbeconomics”: taking stock of the twentieth anniversary of the 9.99 price point (guest column by Will Page)

翻訳:塚本 紺

編集:ジェイ・コウガミ